こまだこまのロバの耳ブログ

旅行と生活。ときどき読書。だいたい酒。

カレーライス!!

 わたしはなぜだか食べ物に関する本が好きだ。

 

 

というわけで、食べ物に関する本だけ、一冊ずつ感想を書いていこうと思います。

このアンソロジーシリーズは5冊あるようで、あとの4冊はビール、そば、餃子、おやつ、となってます。

 

カレーライスにだけ、!!をつけるあたり、カレーライスに対する思いの強さが感じられます。

確かに、日本人ならカレーライスについて誰もがひとつはエッセイを書けるんじゃないでしょうか。

 

 

33人の豪華な執筆陣が、それぞれのカレーライスについて語ってます。

戦中、戦後を生きた方たちの文には、カレーライスがいかに「ごちそう」であったかということや、「メリケン粉」、「中村屋のカレー」というワードがたびたび出てきて、カレーライスの歴史がしのばれます。

 

独自のカレーライスのレシピを紹介したり、カレーライスをめぐる周辺の人にまつわる話など、作家の切り口はさまざま。

 

 

そのなかでわたしが最も印象に残ったのが、

藤原新也さんの「アルプスの臨界現象カレー」です。

 

長野県駒ケ根市にあるカレー屋「アンシャンテ」を、藤原さんが初めて訪れたときのエピソード。

 

今まででインド滞在期間が延べおよそ6、7年におよぶという藤原さん。本場のカレーを相当数食べているので、よほどのカレーでないと旨いとは思わないのだが…

 

決して本場のカレーに似せようとしているわけではない。しかしそこにはある独自の個性を持ったまろやかで丁寧な底味が一品一品に染みこんでいるのである。そして満たされた食卓がいつもそうであるように、食が進むごとに世間の雑念雑事を忘れ、味覚三昧の小宇宙に浸っていく幸福感を覚えつつあった。

 

小宇宙……。

藤原さんの陶酔感が伝わってきます。

そして藤原さんの興味は、こんなに旨いカレーライスをつくる人がどんな人なのかというところへ向かいます。

はてさて、そのご主人とは……。

 

これを読むと、俄然ここのカレーライスが食べてみたくなります。そして、わたしたち日本人が生きている時間とは……とかって、なんだか急に遠い目になったりします。カレーライスから哲学へ。

ここはおとりよせもできるらしいのですが、いつか実際にお店に行ってみたいところです。

 

 

 

それからもうひとつ。

吉本隆明さんの「即席カレーくらべ」。

 

自ら11種類のレトルトカレーを買ってきて食べ比べ、表をつくって批評する、ということをやっておられます。

吉本隆明さんと言えば、なんか難しいこと書いてる思想家、というイメージだったんですが、こんなブロガーのようなこともされていたとは。

 

一気に親近感がわいたのでした。

 

 


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不完全な、魔法使いのわたしたち

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

 

進歩したテクノロジーはもはや魔法で、100年前を生きる人たちからしたらわたしたちは魔法使いだ。

東京の家から一歩も出ずに、アメリカに住んでいる友人といつでも顔を見ながら話せるし、フランス国立図書館の資料を見ることも、電車にゆられながら自宅のお風呂をわかすこともできる。

 

では多くの魔法を手にしたわたしたちがどうなったかと言えば……うーん。

 

 魔法が使えたら、で思い出したのが最近観たこの映画。

わたしはなにしろサイモン・ペグが好きだ。こんなかわいくてかっこいいおじさんがいたら一緒に朝まで飲みたい。ちなみにこの映画はモンティパイソンのメンバーがせいぞろいしていて、そしてロビン・ウィリアムズが出演した最後の作品でもある。(犬の声担当)

 

脱線しました。

 

ある日突然、右手を振るだけでなんでも望み通りになる力を宇宙人から与えられたニール(サイモン・ペグ)。その力をどう使うのかを宇宙人に試されているとも知らずに…。果たして彼と地球の運命は?という、コメディ映画。

 

おバカなことに力を使い続けるニールに、わたしだったらもっとうまく力を使うのに…と想像しながら映画を観る。でももしも実際にわたしがおなじ状況になったら、ニールのようなバカなことに力を使う自信はおおいにある。

 

というかもうすでに、そうなっているんだろうなと思う。

100年前の人はきっと、魔法使いである現代のわたしたちを見て思うかもしれない。そんなにすごい力があるのに一体何をやっているのか?わたしならもっとうまく力を使うのに、と。

 

映画の結末は、不完全な魔法使いのわたしたちを皮肉っているようにもみえる。

映画は終わっても人生はつづく。

わたしたちはこれからますます不完全な魔法使いとして生きていかなくちゃならない。

100年後の魔法使いたちは、どんな夢をみて、どんなふうに暮らしているだろう。

 

 

奇跡の謎など解けないよ

お題「雨の日に聴きたい曲」

雨の日に聴きたい曲というわけではないけれど、雨の曲を考えていたら最初に思いついたのが、「ロマンティックあげるよ」でした。

そう、ドラゴンボールのエンディング曲です。


ドラゴンボール 「ロマンティックあげるよ」

 

せっかくなので、映像とともに聞き直したんですが、これはこれで、ストーリー性があるものだったんですね。

 

窓から雨降りの景色を見ているブルマ。

冒険したくてうずうずしてる。

大人のフリなんてせずに旅にでたら、大変なこともあったけど、

色んな出会いがあって、最後は雨もやんでいる。

 

子どもの頃にはすっかりスルーしていましたが、ちゃんとドラゴンボールの魅力を引き立てるつくりになっていたようです。

 

ところで私がこの曲を「雨の歌」だと思っていたのは、ブルマが窓の外を見ている冒頭のシーンが印象的だったからなんですが、雨のシーン、そのあと1回しか出てきません。

このシーンが印象に残っているのは、きっと本編が終わったところで、すぐにチャンネルを変えてしまっていたからなんだと思います。

私はほとんど、ここまでしか見ていなかった。

でも、チャンネルを変えたあとにも、そこには別の世界が広がっていた。 

そうやって、実は多くのものを見逃してきたのかもしれません。

 

歳を重ねると、触れるものは自分が触れたいものばかりになっていくような気がします。

出会うものは、どんどん狭まっていきます。

そんなんじゃ、奇跡の謎なんて解けないわけです。

 

本当は発見できたかもしれないものを何も気づかずにスルーするのは寂しいので、できるだけ見逃さずにいきたいものです。

 

 

…と、ここまでお題と関係ないことを書いてきましたが、「雨の日」を比喩的に捉えたとき、この曲を聴くのは、それはそれでありなんじゃないかなぁ。

 

 

ヨーロッパ60日間旅行記⑥ルーマニア編、ブラショフから日帰りでドラキュラ城へ

小説『吸血鬼ドラキュラ』で、ドラキュラが住んでいるお城のモデルとなったと言われているブラン城。ブラショフ市内からバスで小一時間ほどで行けます。

ではドラキュラのモデルは?と思い調べると、「ヴラド3世串刺し公」と出てきました。名前のクセが強い。

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なんでこんなクセの強いニックネームになってしまったかというと、敵国の兵士だけでなく自国の重犯罪を犯した平民や貴族までも、容赦なく串刺しにして処刑したからってことらしいです。そしてドラキュラ公と呼ばれるにいたったのも、この冷徹なイメージが大きく関係しているようで。

あっ、ヨーロッパに来て初めての快晴です!!

 

 

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お城のなかに入ると……

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鉄の少女(アイアンメイデン)。罪人を中に入れて串刺しにしたあと、落とし扉になっている底から罪人を下の穴に落とすから処理もカンタン!という恐ろしい器具。

でも実際に使われていた公的記録はないそうなので、こいつで拷問がされてたってのはフィクションだという説も多いらしい。フィクションであってくれ。

 

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こんな椅子はイヤだ。

 

 

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何をしたらこんな拷問をうけるの…。

 

 

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女性がつける貞操帯。これも拷問器具?でも確かにこんな金属を一日中つけさせられるのは拷問ですね。

 

館内にはこれでもかというくらい拷問器具が展示してあって、人間というのは人を痛めつけることにこれほどまでの想像性を発揮するものかと思いました。たかだか300年前くらいまでこんなことやってたのかと思うと、人類の先が思いやられます。

 

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白くなった町に赤い屋根が映えて気持ちのいい景色。拷問器具のことは忘れよう…。お城の下はお土産屋さんで賑わっていました。

 

 

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のどかな町です。これにもナンバーはちゃんとついてんですね。

 

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ブラン城からブラショフ方面に戻る途中にある、ラシュノフ要塞。ここから歩いてリフト乗り場まで行きます。

 

 

f:id:komadakoma:20170619160257j:plainリフトを降りて歩いていくと、突如広大な景色が広がって圧倒されます。山のてっぺんのこんなとこ、攻めるのは至難の業でしょう。

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朽ちていく要塞…。きれいに残っている建物よりも、こういうのにテンションあがります。兵どもが夢のあと。

 なぜかこの要塞の中に、中世の騎士のようなコスプレをしたお兄さんが二人いて観光客相手に弓矢をすすめています。愛媛の松山で夏目漱石の「坊ちゃん」のコスプレをした人たちを見たことがありますが、あれは役所の人ですよねたしか。このお兄さんたちもそうなんでしょうか。

この時期は観光客も少ないので、二人はぐだぐだ楽しそうにおしゃべりしていて、なんとものどか。

 

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眺め最高!!晴れててよかったー!!こうして見ると、町の範囲はけっこう狭いように思います。みんなこの町でどんな仕事をして、なにをして遊んで日々暮らしているんだろう…。ブロガーはどれくらいいますかね。

 

 

要塞をおり、バスで再び市内へ。今度はタンパ山に登ります。

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部屋から見えたあの山。

 

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ほんと晴れてよかった…(2回目)。これを撮っている場所、雪道で滑るし狭いし実はけっこう不安になる感じのとこです。途中、日本語を勉強しているという韓国人カップルに話しかけられました。アジア人に会うとほっとします。

 

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夜は、宿のイケメンがすすめてくれたお店へ。ビールと合う~。

 

  

そして、ルーマニアで有名なのがこれらしいんですが。知りませんでした。 

高っ……!!日本で買うとこんな高いんですね。正確にはわかりませんが、ルーマニアで買う3~4倍の値段でしょうか。国家プロジェクトとして誕生した化粧品てなんじゃそら。

 彼氏が会社の女性たちから買ってくるように頼まれたらしく、デパートに一緒に探しに行きました。種類も値段もピンキリでいろいろあり、30分以上迷ってほどほどのやつをいくつか購入。ついでに私も購入。

ちなみに、私は旅行中ずっと使っていましたが、目に見える効果はありませんでした…。

 

 

明日はブカレストへむかいます。


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ゲイに異常なほど拒否反応を示す男の正体

先日もこんな記事を書いたが、

komadakoma.hatenablog.com

この記事を書くまえに彼氏ともいろいろと議論した。そのときの、同性愛についての話。

 

 

以前、私と友人(女)がある男性をゲイバーに飲みに誘ったとき、その男性はものすごくかたくなに行くことを拒否した。ちょっと尋常じゃない拒絶ぶりである。何をそんな心配してんのただ飲みに行くだけじゃん、と言ったら、「狙われるから怖い」と言ったので、私と友人は一瞬絶句した。

彼は冗談ではなく、本気で自分が「狙われる」ことを心配していたのだ。

 

こういう男性は多い気がする。自分が男であるというだけで、なぜ自分が相手に「選ばれる」と思うのか。うぬぼれんのもたいがいにしろ。心の中で思っているだけならまだしも、それを口に出して言ってしまえるってどーなの。 

というような話を彼氏にした。すると彼は、確かに俺は口には出さないけど、その人の拒否反応についてはわかると言う。

 

俺はゲイに対して反射的に気持ち悪い、という感情をどうしても抱いてしまう。そう思ってしまうことに対しては罪悪感というか、申し訳ないとは思うけれど、生理的な嫌悪感なのでどうしようもない。

でもこれってもしかしたらこの拒否反応が強い人ほど、逆にゲイの要素が強いんじゃないか?潜在的にそういうものが強くあるからこそ、「そっちにいっちゃったらどうしよう」という恐怖を感じて、それが強い拒否反応になるんじゃないかな?

 

……なるほど。強い拒否反応を示す本人が言ってるのでなんか説得力がある。では前にあげた男性も、もしかしたらそういうことなのかもしれない。自覚がないだけで。

 

そもそも私は差別というのも恐怖からくるものだと思っている。黒人差別なんてその最たるものだ。強いものや自分とは違う理解のできないものなどが自分をおびやかす存在のように思えて恐怖する。そしてそれを排除しようとして差別行為につながる。

恐怖と差別の関係を考えるとき、ナウシカクシャナに言った言葉を思い出す。

 

 

 

 

「あなたな何を怯えているの?まるで迷子のキツネリスのように」

 

 

……姫様ーーーーーーー!!!!

ちなみに私が「ナウシカ」で一番好きなシーンは、映画の序盤、ナウシカがブチ切れて剣を振り回して人を殺しまくり、ユパ様に止められるところです。冷静で頭が良くて人望もあるナウシカも好きですが、唯一感情をむき出しにして暴れまわるこのシーンは強く印象に残ります。

 

 

…えっと、なんの話でしたっけ。そうそう、恐怖と差別の関係について。

 

 

恐怖はときに攻撃に転じる。それをナウシカはよく知っていた。

自分が何を恐れているかということに自覚的であるということは、自分を知るためにも、他人を傷つけないためにも大事なことなのかもしれないと、彼氏の話を聞いていて考えた。

 

あなたがゲイに異常なほど拒否反応を示す男だった場合、自分のなかに強いゲイの要素が眠っている可能性について一度深く考えてみた方がいいのかもしれない。

LGBTとPZNは同列に語ることができるか

  数年前、道の側溝に入って女性を下から覗き、スカートの中を盗撮しようとした人が逮捕されたという事件があった。逮捕後に「道になりたい」という供述をしたことで、おかしな知名度の上げ方をしてしまった人だ。

私はなぜかこういうニュースがいつまでたっても忘れられない。と言うより、定期的に思い出してしまう。そして切ないというかいたたまれないというか、なんとも言えない気持ちになる。性欲を感じる対象や、その人にとって自然な性欲の発散の仕方が社会のなかでは「犯罪」という枠のなかに入ってしまう人はどうすればいいのだろう。

 

私の友人の知り合いが今、同性バートナーシップ制度を区に認めてもらおうと活動しているということもあって、性的マイノリティとは何か?LGBTと、上記のような特殊な性癖の人とは同列に語ってもいいのか?などということを最近ずっと考えていた。そしてネットをさまよっていたところ、こんな記事を見つけた。

www.wagahaji.com

 

ざっくり言えば、まず「P」は「ペドフィリア」は幼児性愛者を指す。日本ではロリコンと言った方が理解は早いだろう。「Z」は「ズーフィリア」動物性愛者とでも言おうか。動物に対して性的感情を抱く性癖である。「N」は「ネクロフィリア」、死姦を好む人を指す言葉である。まぁ、つまり並べてみれば分かるが「PZN」はいずれもかなりレベルの高い特殊性癖である。

性的マイノリティという言葉の曖昧さ~LGBTPZNという概念から~ - わがはじ!

 ……おおお。「PZN」という言葉は初めて知った。確かにレベルの高い性癖だ。でもこうやって言葉になるということは、確かに特殊性癖ではあるが一定数はいるということなのだろう。(特殊性ということだけで言えば、「側溝に入って下からスカートを覗かないと興奮できない」という方がある意味特殊なケースだと思う)

 

では私が疑問に思っていた、LGBTとPZNのような特殊な性癖は同列で考えていいのか?ということに対しては、すくみづさんはこう考えを述べている。

あくまでも「LGBT」と「PZN」は区別して考えられる代物であると僕は思う。そもそもセクシャルマイノリティ」という言葉が物事を複雑にしている気がしてならない。よくNHKの特集なんかでも「性的マイノリティ」という言葉を使うが、その言葉であれば確かに「LGBTPZN」はすべて、そこに含まれると思う。 「LGBT」と「PZN」はその性的マイノリティの中で、更に分けるべき別物だと僕は考える。仮に言葉を置くなら前者は「性別マイノリティ」後者は「性癖マイノリティ」とでも呼ぼうか。

性的マイノリティという言葉の曖昧さ~LGBTPZNという概念から~

 なるほど…。でもなにかどこかがしっくりこないような…。でもなんだろう…?とずっと考えていて思い当たった。

 

何に性欲を感じるかということを性癖とするなら、性欲の対象が男なのか女なのかということも「性癖」の範囲なのではないか。男か、女か。その選択があまりにも当たり前すぎて「性癖」というカテゴリーのなかで考える人がいないというだけで。

 

自分自身の体の性別と、心の性別をどう考えるか。(性同一性)ということと、

自分自身の性欲の対象はなんなのか。(性癖)ということはそもそも別の話だ。これを混同するから話がややこしくなるのではないか?

 

性同一性のパターンは、

体が男×心は(男+女+どっちかわからない+どっちでもない)=4通り

体が女×心は(男+女+どっちかわからない+どっちでもない)=4通り

合計8通り となる。

これだけでもすでにわかりにくい。

LGBTという言い方は、この性同一性にさらに性癖を混同させた概念であるということに当事者を含む多くの人が気づかないまま議論しているのでは…。

 

 

……ここまで考えて私も頭がこんがらがってきた。

 

 

違和感は「性」という漢字の使い方にもあるかもしれない。性的マイノリティの「性的」という言葉が性別を意味する性と、セックスを意味する性の二つの意味を混同した状態で使われていることが、多くの人の理解をさまたげている原因のひとつになっているように思う。

 

性同一性と性癖をわけて考える、というところからはじめた方がいいのではないか?

 

 

 

 

 

と、ここまで考えて頭がぷすぷすしてきました……。このへんのことについてはまた考えていこうと思います。

 

 

 


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初対面の人に出身地を聞いたら鳥取県だったときの正しい対応。

鳥取から上京して、途中何度か他県にも住み、そろそろ鳥取で暮らしていた年数とそれ以外の年数が同じになろうとしている私です。

そんな私が思う、初対面の人の出身地を聞いたら鳥取県だったときの正しい対応は、

 

「へぇ、そうなんだぁ」

 

以上です。

この一言だけでかまいません。そしてさらっと次の話題に移ってほしいのです。

 

私はここ数年バーで働いていたので、初対面の人と話す機会も多く、出身地を聞かれることは多い方だと思われます。

でも最初のこの質問が実にめんどくさい。とりあえずみなさん、「砂漠のあるとこね」「スタバできてよかったじゃん(半笑い)」など思いついたことをそのままおっしゃいます。大別すると、自分から聞いた手前気を使って話を広げようとするタイプか、鳥取と聞いたとたん馬鹿にしてくるタイプ、この二つに分かれます。

まれに、トリッキーな情報を持ち出してきて「鳥取出身なのにそんなことも知らないんじゃダメだよ」と言われることもあります。出身地を答えたら説教されるというまさかのゴール。

 

正直、全部めんどくさいです。接客中はお仕事なのでもちろん私も「砂漠じゃなくて砂丘ですよ~」とか「セブンイレブンもできたんですよ~」とか適当に答えてます。

馬鹿にしてくる人がめんどうなのは当然として、話を広げようとしてくれる人の場合。こちらも気を使って自虐ネタやマイナーなネタを繰り出してどうにか話をおもしろくしようと応戦します。ですがどうがんばっても鳥取がテーマではそんなに話は続きません。思いつくかぎりの名産品や観光名所をあげて、そしてだいたい話はしりすぼみになって終わり…。予想通りの結果に小さな徒労感を感じる私。それならば、

「へぇ、そうなんだぁ」

で終わってくれた方がいっそすがすがしいと思うのです。ポイントは言い方です。

 

あんな何もないところから出てきて、今この場所で暮らしているのか。人生いろいろだよねぇ。というようなしみじみ感を出して、

 

「へぇ、そうなんだぁ」

 

個人的にはこれが一番いいと思います。無理に話を広げなくともいいのです。

そう言われたら私も素直に、

「はい」

とだけうなずいて、お互い気持ちよく次の会話にうつれるというものです。

 

 

例外として好きなのが、「鳥取西」といきなり高校名を言い高校野球の話をしてくる、というようなパターンです。スキあらば自分の好きなものの話をしようというその貪欲さ。わりと嫌いではありません。